外国文学・著者別-文芸作品-本 : アンダーワールド〈上〉

アンダーワールド〈上〉


   アメリカが生んだ最高の文芸作家の1人、と国内外から賞賛されるドン・デリーロが1997年に発表した作品の邦訳。上下巻、各600ページを超える長編だ。    物語の幕開けは1951年、ニューヨーク・ジャイアンツとドジャーズの優勝をかけたペナントレース。その日はアメリカ中が歓喜と興奮に満ちあふれた日であり、またソ連が核実験に成功した冷戦史における重要な日でもあった。    第2次世界大戦後、世界のリーダーとして君臨してきたアメリカは羨望の的だった。その栄華と表裏一体となる陰影の部分を、著者はゴミ処理ブローカーや核実験研究員などを通してじっくりと描き出している。    陰影の部分とは、常に隠されてきたタブーであり、また人々もそれに目を背けてきた。だが、そうした「暗」の部分は「噂(うわさ)」となって浮遊している。たとえば、核廃棄物を乗せ、どこからも入国許可がもらえずに海洋を徘徊する船の話。放射能防止チョッキを着せられ、実験台にさせられている豚の群の話。ネバダ州の実験場のそばにある農村に住むありとあらゆる身体障害を持つ人々の話。    真実か嘘か確かめられない登場人物たちは、そうした噂を「あり得る話」だと判断する。だが、一方では、テレビで繰り返し放映される本物の殺人シーンを真剣に受け止めることができないでいる。そうして彼らは現実と虚構の間をさまよいながら、自分にとっての「現実」とは何かを模索していく。    本書で語られている内容の重さに立ち向かううちに、読み手はさまざまな角度から現実に向きあう機会を得る。デリーロはドキュメンタリーやニュース以上に、現実について読者を敏感にさせる見事なフィクションを作り出した。(松本芹香)

一気読みの上下大作 - 再読。本書のストーリーをかいつまんで語ってみてもほとんど無意味だ。なぜなら本書はほんとうの小説だから。オースターの『リヴァイアサン』もよくできた小説であり、好むが、デリーロの『アンダーワールド』と比べれば子ども向きのお話のようにさえ思えてくる。そういえばオースターは『リヴァイアサン』を誰あろうデリーロその人に捧げているのだ。大衆文化と歴史の交錯、人間の醜さを冷徹に描いて、なおかついかなる場合にも読者に言葉を委ねるスタイルを崩さないデリーロは大作家である。冒頭のワールドシリーズのシーンから一気に引き込まれ、とことん付き合わされるとんでもない小説。本書を読んでいれば、黒沢清の映画が「9・11」を予見したなどという子供だましを言うこともあるまい。

「語り」に充満する不穏な空気 - デリーロの存在は以前から知ってはいた。本書の帯でも、「現代アメリカ文学最大の作家」という触れ込みだ。だが、デリーロの作品を読むのは今回が初めてだった。難解なのだろう、と勝手に推測し敬遠していたのかもしれない。敬遠する理由はいくらでもある。上下巻計1200ページからなる本訳書だって、読むのを躊躇してもおかしくはない。が、さわりを読み、今回はデリーロ・ワールドにひたろうと決意した。そう思わせたのは、本書を貫く語り口に満ち満ちている「不穏な空気」である。それは冷戦時代、そして、現代までも続いている時代の空気でもある。デリーロは、1951年10月3日に起きたふたつの出来事を皮切りに、さまざまな人々の人生を描きながら、「核」と「冷戦」の恐怖下にあった時代を物語っていちいちこのように書くと、ほら難解じゃないか、とつっこまれそうだが、さにあらず。デリーロが紡ぎ出す個々の人生は、ひとときの喜び、そして悲哀に満ちていて、読む人の共感を呼び起こさずにはおかない。しかも、インターネット時代の現代を象徴する「すべてはつながっている」というテーマが隠し味として、本書の魅力を一層深いものにしている。「現代アメリカ文学最大の作家」という触れ込みは嘘ではなかった。




アンダーワールド〈上〉