
一気読みの上下大作 - 再読。本書のストーリーをかいつまんで語ってみてもほとんど無意味だ。なぜなら本書はほんとうの小説だから。オースターの『リヴァイアサン』もよくできた小説であり、好むが、デリーロの『アンダーワールド』と比べれば子ども向きのお話のようにさえ思えてくる。そういえばオースターは『リヴァイアサン』を誰あろうデリーロその人に捧げているのだ。大衆文化と歴史の交錯、人間の醜さを冷徹に描いて、なおかついかなる場合にも読者に言葉を委ねるスタイルを崩さないデリーロは大作家である。冒頭のワールドシリーズのシーンから一気に引き込まれ、とことん付き合わされるとんでもない小説。本書を読んでいれば、黒沢清の映画が「9・11」を予見したなどという子供だましを言うこともあるまい。
「語り」に充満する不穏な空気 - デリーロの存在は以前から知ってはいた。本書の帯でも、「現代アメリカ文学最大の作家」という触れ込みだ。だが、デリーロの作品を読むのは今回が初めてだった。難解なのだろう、と勝手に推測し敬遠していたのかもしれない。敬遠する理由はいくらでもある。上下巻計1200ページからなる本訳書だって、読むのを躊躇してもおかしくはない。が、さわりを読み、今回はデリーロ・ワールドにひたろうと決意した。そう思わせたのは、本書を貫く語り口に満ち満ちている「不穏な空気」である。それは冷戦時代、そして、現代までも続いている時代の空気でもある。デリーロは、1951年10月3日に起きたふたつの出来事を皮切りに、さまざまな人々の人生を描きながら、「核」と「冷戦」の恐怖下にあった時代を物語っていちいちこのように書くと、ほら難解じゃないか、とつっこまれそうだが、さにあらず。デリーロが紡ぎ出す個々の人生は、ひとときの喜び、そして悲哀に満ちていて、読む人の共感を呼び起こさずにはおかない。しかも、インターネット時代の現代を象徴する「すべてはつながっている」というテーマが隠し味として、本書の魅力を一層深いものにしている。「現代アメリカ文学最大の作家」という触れ込みは嘘ではなかった。